覚悟の瞬間(とき)

野球解説者 衣笠祥雄
きぬがささちお

衣笠祥雄

京都府生まれO型
職業:野球解説者
趣味:野球
座右の銘:忍耐

京都・平安高校時代、捕手として甲子園に出場。1965年、広島カープに入団し、内野手に転向。4年目にして一塁のレギュラーポジションを獲得。以後、1970年秋の巨人戦以来、161回もの最多死球を受けながらもケガをおして出場。連続試合出場の記録更新を重ね、1987年にはルー・ゲーリックのもつ世界記録を抜いた。この直後、球界2人目の国民栄誉賞を受賞し、記念すべき年となった10月、シーズン終了後2215試合出場記録を最後に引退した。その後、野球解説者、スポーツコンサルタントなど幅広く活躍中。愛称は「鉄人」

オフィシャルサイト

来歴

1 2 3 4 5

幼少~学生時代

京都で生まれ、京都で育ちました。山にも川にも恵まれ、仏閣も眺められ、良い環境でしたね。水泳やアイススケート、柔道なども習っており、子どもにしては結構忙しかったかもしれませんね。今思うと柔道を1年間やっていたことで、言葉遣いや挨拶を学べたように思います。持論では、子どもはどこかで教えてもらう事が必要だと思っています。それが柔道でしょう。中学校に入学してからは、野球一色の生活となりました。

プロ野球の道へ進んだきっかけ

小学校ですからソフトボールから始まったわけなんですが、そんなに一生懸命やっていた記憶がないんですよね(笑)「よーいどん!」で野球部に入る気持ちもありませんでした。ただ、野球をしている中学校の先輩たちを見て「面白そうだなあ」と思ったのが、野球を始めた本当の気持ちです。

覚悟の瞬間

プロ野球の世界に入って、まず感じたのは圧倒的な力の差でした。全てにおいてはっきりと違うものがありました。ピッチャーで言えば、投球のスピードそのもの。バッターはそれに対応しなければいけません。内野手も打球の速さが違いますから。選手としての頭角を現せぬまま、2年間が過ぎていきました。その頃に根本陸夫氏と出会えたことで、衣笠祥雄の原点が生まれていったのでした。野球のスキルがどうというわけではなく、自分には何ができるのか、どんな生き方をしていくのかということを示唆していただいたんじゃないかと思っています。自分の方向性を真剣に決めた時が、覚悟の瞬間でしたね。

今後の目標

やはり子どもたちに野球を伝えていくことですね。これが一番の楽しみです。頑張ることは苦しいんだけど、頑張ったら頑張っただけご褒美がもらえるんだよね。それがもらえた時に嬉しいと思える時まで、頑張れるように…。そこをどういう風に伝えられるかどうかが、私たちの腕の見せ所ですよね。

日本のアカルイ未来のために

目の前に出てきた一つひとつの山や壁を乗り越えていくことによって、自分の新しい一面に出会え、立ち向かっていけると思います。また、その中で自分を少しずつ理解をしていき、一段一段階段をあがっていける…。人生には、そういう様々な素晴らしい出会いがあると思うんです。ですから、自分が正しいと思うことを探す努力をしてみてください。見つけたなら、安心して一歩ずつ進んでいってください。

おすすめ動画※この動画を見た人はこの人の動画も観ています

元宮崎県知事 東国原英夫

元宮崎県知事
東国原英夫

昭和大学横浜市北部病院循環器センター 心臓血管外科 教授 南淵明宏

昭和大学横浜市北部病院循環器センター 心臓血管外科 教授
南淵明宏

生物学者 長沼毅

生物学者
長沼毅

お気に入り

イヤホン

大切な音楽を聴くイヤホンです。移動中も音楽を聴くことが多いので常に持ち歩いていますね。

スコアブック

このスコアブックは毎日つけています。もう習慣になっています。何年か経って見返すと、また面白いんですよね。