覚悟の瞬間(とき)

服飾評論家 市田ひろみ
いちだひろみ

市田ひろみ

大阪府生まれA型
職業:服飾評論家
趣味:映画
座右の銘:やさしさ、誰もがほしいもの

重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、市田美容室、市田アドプラン代表取締役社長、経済・業界団体に所属。大学講師、日本和装師会会長を務める他、書家、画家としても活躍。講演会で日本中を駆け巡るかたわら、民族衣装を求めて訪れるアフリカ、アジア、中南米の辺境の村々でも市田流のおつきあい術で交友関係を広げている。テレビCMの「お茶のおばさん」としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

太平洋戦争中だった小学生時代は、上海で6年間を過ごしました。日記を毎日書かされ、とても嫌でしたが、文字・文章を書くことがこのころから得意になりました。また、かけっこやゴムとびがクラスで一番得意で、よく「おてんば」だと言われていましたね。1945年、終戦で引き上げリュックひとつで帰国し、京都で暮らし始めました。高校時代は陸上部に入り、円盤投げ・短距離・砲丸投げで何度かインターハイに出場したこともありました。ボーリングでも日本チャンピオンになった事もありました。現在も日本全国講演旅行で歩きまわれるのは、学生時代にスポーツで鍛えたおかげだと思っています。

社会人時代

当時、京都では女性は学校を出ると結婚するのが当たり前。でも、私は何か仕事がしたいと強く思っていました。しかし、当時女性が選べる職業は限られており、デパートの売り子・看護師・電話交換士くらいでした。運良く大阪の商社での募集を見つけ働く事ができ、その後秘書に抜擢され、社会人としてのスキルを身に付ける事ができました。ヤンマーディーゼルの横井之昭氏の秘書として働いていたのですが、会社を辞めた後「君のような秘書は、あのあと来なかったよ」と褒めていただけた事が大変うれしい思い出ですね。

この道へ進んだきっかけ

母が昭和23年に開業した家業の二代目として事業を広げました。モデルさんや女優のヘアメイク着付けをしていたのですが、ある時室町の呉服問屋さんに「着物教室を一緒にしないか」というお話をいただきました。今でこそ多くありますが、当時そのような教室は世の中になかったもので、「京都は着物の町。着物を着られる人を増やさないといけない。」という使命感を感じ、その場でお話をお受けしました。デパートの呉服売り場で着物の着方の実演をするという内容だったのですが、話は受けたもののその当時実は私は着付けを自分1人でできなかったんです。それからの1週間、母親の特訓をみっちり受け第1回の教室を成功させたのがとても印象に残っています。

覚悟の瞬間

家族親戚の全員に反対される中、せっかく入った会社を辞めて、女優になる決意をした時、また、女優を引退した時は私にとって覚悟の瞬間でした。人生の中でさまざま覚悟はあります。常に自分で始めた事はやり切るまで投げ出してはいけないと考えています。

今後の目標

文化というものは時代によって少しずつ変化します。元気な限り、講演活動を通して多くの人に幅広い世代に今の時代に合った「和の文化」を伝えていきたいと考えています。

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講演会・学校の講師など、皆様の前でお話する事が多く、のどを守るためにいつも飴を持ち歩いています。