覚悟の瞬間(とき)

北関東循環器病院 院長 南和友
みなみかずとも

南和友

大阪府生まれA型
職業:北関東循環器病院 院長
趣味:スポーツ、読書、コンサート
座右の銘:かわいい子には旅をさせよ

74年京都府立医科大学卒業。以後30年間にわたりドイツで心臓血管外科医として活躍。2004年ボッフム大学永代教授に日本人としてはじめて任命される。05年から10年にかけて日本大学医学部心臓血管外科教授を務める。10年医療法人北関東循環器病院の病院長に就任。これまでにおよそ20,000例の心臓・血管・肺手術を執刀。特別講演・テレビ・ラジオにも多数出演。著書に「日本の医療危機の真実」(時事通信社)、「解病」「病気にならない歩き方」「蘇活力」(アチーブメント出版)、「人は感動するたびに健康になる」(マキノ出版)がある。

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来歴

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幼少~学生時代

子どものころ、3人兄弟の真ん中の自分は兄と弟のけんかの仲裁に入ることが多かったです。私達の下にそれまで元気にしていた妹がいましたが、5歳のときに心臓停止により突然死しました。私が8歳のころの出来事です。そのとき、子ども心に「人はなんと簡単に居なくなるのだろう」と思いました。鍼灸医をしていた母のもとには腰痛、肩こり、頭痛などを患った人が治療を受けに来ていたのを幼いころから見て育っていました。会社勤めの父は欧米の会社とのビジネスが多く、実家にも時折外国人が招かれて来ていたために若いころから英語を話す機会に恵まれていました。高校3年までは体操部に所属してインターハイにも出場するなど、スポーツに明け暮れていましたが、その夏ごろから医学部に行こうと決心するようになり、受験勉強を始めました。2年浪人して京都府立医科大学に入学するものの3年目には学園紛争が激しくなり大学封鎖となってしまいました。その期間を利用し、日本を飛び出しヨーロッパに渡りました。

現在の道へ進んだきっかけ

大学を一年休学してヨーロッパ、主にドイツで過ごしてから日本へ帰国しました。医学部を卒業した後に大学病院の外科教室に入局しました。なんとなく心臓外科医になりたいと思い入りましたが、症例数の少なさは学生時代にドイツで見学した病院の1/10しかなく、このままではいつになったら一人前になれるかと思うようになっていました。何とか症例数の多い海外の施設で研修をしようと思い、たまたま、ドイツへのドイツ国費留学の可能性があるのを知り試験を受けました。幸いドイツ語がある程度できたことでパスできました。その数か月後にドイツに渡ったのは29歳の時です。一年の留学期間はアッという間に終わり、日本に帰る時期が迫ってきていました。このままドイツに残れば沢山の経験ができるが、日本に帰らなければ大学の意向に背くこととなり医局を破門される事態も考えられました。しかし自分は今後心臓外科医として一日も早く一人前になりたいと思いドイツに残る決心をしました。

覚悟の瞬間

私には覚悟の瞬間が3つあります。1つめは、学園紛争による大学閉鎖の最中に海外経験豊富の父の勧めで日本を一人で飛び出し、横浜から船でナホトカへ渡り、さらにシベリア鉄道でモスクワを経由してヨーロッパにたどり着いたときのことです。数か月後には授業も再開されましたが、一年遅れてもドイツに残り語学学校に通う決意をしました。2つめは、ドイツでの留学期間後もドイツに残り、数年間で日本の数十年分の経験ができるが、日本に帰らなければ大学の意向に背くこととなり医局を破門される事態も考えられたが、ドイツに残る決心をしたときです。最後に、50歳後半になったころ、日本から「大きな心臓センターを東京につくるのでぜひ力を貸してほしい」との依頼があったときのことです。年間症例数6000例という世界一大きな心臓センターを作り上げた自分にとって、日本に帰ってやっていけるかという不安はありましたが、「日本の若い心臓外科医を育てていくことはできる」と思い、帰国の決意をしたことです。

今後の目標

日本では心臓外科医を目指す若い医者が減っています。その原因は、日本には欧米に比し、心臓外科の病院が圧倒的に多すぎるため一施設に集まる患者数が少なく、研修を充実して受けられないという現実があります。人口当たりの施設数と年間心臓病手術患者数を踏まえると、日本は海外に比し、一施設当たり10分の1の患者が手術を受けています。すなわち若手医師の手術経験数は欧米と比し圧倒的に少ない。日本で施設の集約化を妨げている大きな要因は大学病院が多くの関連病院を抱え、医局からそこに医者を派遣するというシステムがいまだに変わっていないことであります。多くの医者が大学の医局に縛られ、長い年月を関連病院に派遣され、自分の望む施設では研修を受けられないため、一人前の専門医になる前にやめていく人も少なからずいます。日本で心臓外科を目指す若い医者が十分な研修を受けることができるシステムを作っていく、そのための一役を担っていければ良いと思います。

日本のアカルイ未来のために

人生は思い描くようにはいかないことが少なからずあるものです。目標を掲げ一直線に進み続けれる人生はむしろ少ないと思います。若いときに思うようにいかず、遠回りするようなことがあっても、そのときいろいろな人生経験ができ、それが後々役立つことも多くあります。私は大学に入る前、そして医学生になってからと、数年遠回りをしてきました。そのときは同年齢の者たちに後れを取ったような気がしなかったわけでもありませんが、気が付いたらその10数年後にはとっくにその者達を追い越していました。67歳という年齢になっても現役の心臓外科医としてメスを振るえるのも、今思えば、若いときに得た多くの経験が役立っているからだと思います。若い人たちに臨むことは、自分の置かれた環境に甘んじることなく、できるだけ多くのことを経験し、それを生かす力を養うことです。自分の知らない国を旅をして、その国の人達や文化に触れることで豊かな感性が養われます。

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お気に入り

手術用メガネ

心臓の手術には拡大鏡が欠かせません。冠状動脈の血管径は1~2mmでそこにバイパスのためのグラフトと呼ばれる血管を0.1mm間隔で縫合する必要があります。外科医によって拡大倍数に差はありますが、私は2.5倍の拡大鏡で手術をしています。

帽子

ドイツの冬は雪や小雨が毎日のように振るため帽子は必需品です。私は30年間ドイツに暮らしていたのでいつの間にか帽子をかぶる習慣がついてしまいました。日本に帰国後も冬は防寒、夏は日よけのために毎日のように被って病院に通っています。