鈴木誠二 (すずきせいじ)
1956年6月3日 福島県生まれ
ウェル・ビーイング 代表
予防医療コンサルタント。農学博士。名古屋大学大学院農学研究科博士課程後期修了。テルモ株式会社を経て、2001年に日野原重明氏を顧問に株式会社ウェル・ビーイングを設立。東京大学医療政策人材養成講座第1期生。NPO法人からだとこころの発見塾理事。

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幼少~学生時代
17軒しかない会津の山奥の集落の農家の二男として生まれました。藩校「日新館」の流れをくむ男子校(会津高校)で文武両道・質実剛健の高校時代を送り、当時は野口英世を尊敬していました。多感な子どもで、生と死を考えては良く悩んでいたことを覚えています。大学では馬術部の主将を務め、目標を定めると猪突猛進で突き進んでいました。大学4年の時に、あまりに勉強しなかったことを反省し、大学院で研究する道を選びました。このころから、ストレスというものに興味を持ち始め、心と体はどこでどのようにつながっているのかを研究するために名古屋大学大学院でストレスと免疫の研究を始めました。この研究が卒業してから5年後に認められ、Neuroimmunologyという学問の基礎となりました。

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医療の道に進もうと思ったきっかけ
アメリカのNorthwest Kidney Centerで専門看護師が日本の医療経済を「crazy!」と表現したことがきっかけとなっていると思います。帰国して日本の医療経済を調べると、多くの矛盾点を感じました。これを機に、治療医学を行っている会社を辞めて、予防医学の会社を設立しようとしました。

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印象に残っているエピソード
人生では、右の腎臓を失ったことが大きなターニングポイントになっていると思います。腎がんの疑いもあったため、死ぬかも知れないと覚悟を決めた時に、生き方が変わりました。

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覚悟の瞬間
35歳の時に奇形が原因の急性腎盂炎になり、腎がんの疑いもあり、右腎臓を摘出しました。死を覚悟した瞬間でした。退院したその日に1200万円の不動産詐欺にあっていることが発覚しました。まさに四面楚歌の状態でした。また、42歳の時にストレス性の過労性肺炎・肋間神経痛・皮膚病を同時に患いました。精神の統合性が失調することで、体は見事に壊れることを実感しました。そして51歳の時に脳動脈瘤が発見されました。死を覚悟するも晴れ晴れとしていたのを覚えています。

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今後の目標
予防医療から日本の医療を変えること。具体的には健康保険組合の経営支援を行い、効果的・効率的保健事業を人の育成を含めて、総合健保や協会けんぽ・国保へと広げていきたいと思います。

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レーザーポインター

伝えたいことを伝えたい人に伝えたいように伝えることを大事にしています。(株)テルモ時代に購入したもので、もう15~6年愛用しています。講演等で使用するのですが、これを持つとスイッチが入るのです。

クレド

私の手作りです。私の社員への思いが凝縮しています。今では社員全員が持っています。