佐藤由明 (さとうよしあき)
1981年1月2日 愛知県生まれ
ポエガネイジア 代表
情熱の詩人カウンセラー。「心の問題に苦しむ身近な人々を助けたい」という思いからメンタルケアを学び始める。大学時代に30カ国以上を旅し、豊かさに反して心の問題が蔓延している日本の異常さを痛感。卒業後、某有名アパレルレディースブランドに入社し、広報を担当。その後、某ITベンチャー企業でも経験を積み、自身の目指す「メンタルケアの在り方」の意義を実感。新しい「メンタルケア」の形を提案する株式会社ポエガネイジアを設立する。

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幼少~学生時代
今でも実家に帰ると真っ先に会いに行く大好きな親友たちがいるのですが、彼らが人間の機微や人生の深さ、友情の大切さを教えてくれました。
中学、高校時代は硬式テニスに熱中していました。そこで、厳しくも少年の人生を形作ってくれる恩師と出会いました。「テニスで生きていきたい」という私に、「背の足りないあなたには無理だ。世界はそんなに甘くない。」と教えられました。私が大学に入るときには「あなたは大丈夫だよ。それは私も保障するから。」という言葉をくれ私はとても勇気づけられました。テニスで生きられないことを知ったことから、詩人としての生き方がはじまりました。毎日黒板に何かを書いていました。周りのみんなが、それを認めてくれていたことも今となっては、とても大きな要因だと感謝をしています。そんな中、私の自己満足だった「詩」を、世に出そうと自費出版的に動いてくれた仲間たちがいました。大学生時代には、詩を書けば単位がもらえる芸術学科のような学科にいました。芝居をやったり、映画を撮ったり、小説を書いたりしていました。その頃、私が没頭することになる「ポエトリーリーディング」という表現にも出会いました。自分でイベントをオーガナイズし、ステージに立ち、夜に生きる生活でした。とにかく音と言葉のイベントに、奔走していました。
また、地球一周の船旅もその後の私の人生を左右する大きな体験でした。

続き(社会人時代)

社会人時代
卒業後、それまでと同じように夜に生き、詩に没頭している自分は、当然の如く、就職活動もしませんでした。そんな折、縁あって、NYのブルーノートの社長に出会うきっかけをもらいました。JAZZをバックに、ポエトリーリーディングをしていた私は、NYで質の高いJAZZを創っていながら、レコードやCDで、版権を持てない 彼らの音楽をネットで配信することを決意しました。向こうの社長から私の情熱に対し、OKをもらいました。そして、日本で、今思うと恐ろしい事業計画書を持ち、「俺は詩人だ」という恐ろしい一言を切り口に、とても偉い方々をたずねました。そんな中で、目をかけてくださった方がいらっしゃり、ある日、「スーツを着て恵比 寿に来い」と言われます。言われるままに慣れないスーツを着て、恵比寿のルノワールに行きました。すると、そこで、「お前は社会に出たことが無いだろう。今日からこいつがお前のボスだ。」と一人の女性を紹介されました。それが、某大手アパレルレディースブランドのプレスマネージャーでした。その次の日から、社会人生 活がはじまりました。今思うと、私の社会人生活の始まりは、この「一瞬」は詩になるか、ならないか、のことしか考えておらず、社会人失格な男でした。そんな中、また不思議な人の縁で、別のレディースブランドからお話を頂きました。そこで、プレスマネージャーとして責任のある仕事を頂きました。正直、楽しかったです。 自分の創る言葉が、その1シーズンの舵を取ることになるのですから。企画から生産管理から、デザイナー、パターンナー等、会社のすべてがその一点に向かって動き出すのです。いろんな体験をしました。毎月、こんな濃い顔で、ブランドの顔として、女性誌のJJやCanCamに出ていたりもしました(笑)。そして、レディースブラ ンドの会社にいたことが幸いだったのですが、前の会社やこの会社で、女性の偉大さと大変さを知ります。特にメンタル面で、心の問題が多いと言われるアパレル業界で、さまざまな側面を見させて頂きました。詩人として、言葉を追い求めるがために人の心を知りたくなり、その結果、学生時代に得た「カウンセラー」の資格がこ こで生きてきます。率直にいえば、ドロドロとした女性の、人の心と対峙しました。自分が狂ってしまうぐらいに。

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続き(起業のきっかけ)

起業のきっかけ
アパレルの世界を見させて頂いた中で、社会の心が荒れている現状を目の当たりにします。自分は詩人として生きたいが、社会が必要とする言葉を吐くためには、まず、この社会の心を救いたい。社会に存在する人の心とぶつかりたい。ただ、人々が抱く、「メンタルケア」や「カウンセリング」という概念に対するネガティブなイメージを、なりきりカウンセラーの私は痛く気づかされていました。この概念=イメージの悪さを変えないことには、日本人は、自分の心に真っ向から向き合えない、自分と向き合えない、と強く思い出したのはこのころです。そして、その思いから一つのサービスをなんとか作りました。エンターテイメント×メンタルを行えるサービスです。何よりも、自分と向き合うことの大切さを訴えたい一心でした。そのサービスを自分たちで行おうと仲間たちと熱くなっているときに、一人の出資者が現れました。お金を預かり、登記をし始め、業務提携がはじまりだした頃、その出資者が、うつ病とアルコール中毒を併発します。もちろん、その人にその傾向があり、私がケアしていたから、そういった事業に興味を持って頂いた流れがあるのですが、そのような方から、お金はもらえません。はたして、このまま止めるのか、走り出すのかを悩んだ挙句、仁義を通すために、会社は登記しました。そして、私は、最も心の問題が多いといわれるITの会社で、経営や営業、メンタルケアを学び、お世話になる道を選びました。その後、2社のお世話になりました。ですので、起業のきっかけはとてもかっこ悪く、一年間、会社を寝かせることになりました。

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続き(覚悟の瞬間)

覚悟の瞬間
最初は、テニスで食えないという現実をつきつられた瞬間です。次に、親友の死と同日に起こった谷川俊太郎さんとの出会いになります。そして、これが一番大きいのですが、ポエガネイジアHPの「GLAD to MEET YOU」(あなたへの独り言)を見て頂けますでしょうか?その内容がまさに覚悟の瞬間となっております。

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続き(今後の目標)

今後の目標
まず、目標の前に意気込みのようになってしまいますが、今までは、親父とおかんの徳のおかげで生きてきました。これからが、やっと私の人生としてのスタートだと思っています。その上で、使命として、日本の心を変えるどころか、創ってやろうと思っています。歴史を、命の繋がりを、そして、私たちのアイデンティティとして存在する日本を強く重んじた上で。とにかく、「心の在り方」を訴えていきたいです。そのためには、「心は楽しめるものだ」という概念を叫んでいきます。今のこの心を軽視する、見ないようにする日本の風習を変えたいです。現状のままでは、とても危険だと思っています。そんな中で、一つの目標としては、親父を東京に呼んで、親父の果たせる志事を果たさせてあげたい。という目標があります。私が最も尊敬し、最も一緒にいたいカウンセラーです。彼の力は今の日本に必要だと客観的に見ても感じます。それだけの力を持った心のプロを東京に呼ぶことが会社の一つの目標です。そして、現状のメンタル業界に対する課題と、それに対するアプローチを変えたいと思っています。「心は楽しめるものだ。しかし、それは自分と向き合わなければならない。」というのが私の思いです。「悩みなくして何が人生だ。」と訴えるのもそういった思いからです。現在、楽しみながら自分の心を知る、今までにない画期的なコンテンツを制作しています。ゲームやPC、携帯のコンテンツとして、また、企業の研修や福利厚生、CSRの一環として、価値を見いだせるツールです。それらを通して、「心を楽しむ」ことを発信していきます。何かを覚悟・実行したり、問題解決ができるのは、その人その個人だからこそ、私は関わる人の「ヒント」になりたいと思っています。

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指輪

中学二年生の時に自分で買いました。一方の縁には、「These are the Day the must Happen to You.(時代が求めているのは君だ!)」と書かれていて、もう一方には、「Come Forth!(さぁ、ゆこう!)」と書かれています。今までの半生、ずっと身に付けてきました。根拠のない自信は、この指輪のおかげかもしれません(笑)

DVD

THA BLUE HERBの「STRAIGHT DAYS」というDVDです。僕の一つの「道徳」です。影響を受けすぎて、嫉妬しています。「人」というものを、「人生」というものを、人間の「弱さ」や「切なさ」や「愛」を素晴らしく深掘りしています。加川良さんや、吉田拓郎さんや、中島みゆきさんも大好きですが、私にはこの人の言葉と音が一番響きます。いまだに毎日聴いています。