田嶋陽子 (たじまようこ)
1941年4月6日 東京都生まれ
女性学研究者
フェミニズム(女性学)の第一人者として、またオピニオンリーダとして、マスコミなどで活躍。最近は歌手活動も。最後まで自分らしく生きたい人たちのための「シニアハウス友だち村」提唱者でもある。

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幼少~学生時代
小学校の先生にあこがれていました。その後、母が病気になってからは医者になろうと思っていました。そして、小学校6年生の時には総理大臣になりたいと思っていました。母は自分の経験から、私に手に職をつけてもらいたいと思っていたようです。そのことは常々感じており、大変厳しく育てられました。病床に伏していながらも、母に長いものさしで叱られていたことを覚えています。本当は医学部に進学したかったのですが、経済的な理由もあり進学校へは行けませんでした。その中で、本を通して出会った女性たちが津田塾大学を卒業していることを知りました。これが津田塾大学を目指すきっかけになったのかもしれません。でも、「なぜ女性は人生が閉ざされているのか」と問題意識を持っていたことも確かです。幼いころから男の子よりも勉強ができても認められることはなく、考えてみると5歳の時からフェミニストだったのでしょう。

続き(社会人時代)

社会人時代
大学を卒業してからは、非常勤で教員として1年ほど働いていました。津田塾大学を卒業した人の多くが教員になるのが当時セオリーだったのですが、私は自分の中学高校時代を顧みてその教員になりたくはないと思っていました。当時、津田塾大学院ができたばかりでしたので、大学院へ入学し、留学でイギリスへいきました。そして、津田塾大学院で2番目の博士号を取得し、法政大学へ就職しました。英文学を学ぶ中で、そこに描写されている中心が男性だけだということに疑問を抱き、留学から帰ってきてから「母と娘」など女性をテーマにした研究を行うようになりました。その点では、英文学で新しい扉を開いたのではないかと自負しています。

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続き(ターニングポイント)

ターニングポイント
1987年くらいだったと思うのですが、樋口恵子さんや斎藤茂男さんらが中心となって「花婿学校」というものを作りました。その2番目の講師として、私が招かれることになったのです。この講演が話題となって、「笑っていいとも」に出演することになりました。これがテレビに最初に出演するきっかけでした。テレビ出演などもするようになって、ある程度フェミニストとして有名になったころに自分は1人でやる仕事しかできないと思いました。誰かと一緒にやると責任の所在を探すようになります。1人でやったことは自分だけで責任を負えばいいものです。自分のことを自身で律せるように、テレビ出演やコマーシャルなどもいただいたお話の中でも範囲を絞って仕事をさせていただいていました。

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続き(覚悟の瞬間)

覚悟の瞬間
政治家になったときは決意を持ってなりまし日本女性学会の代表幹事をしていて常々感じていたことではあったのですが、「女性が置かれている状況の改善」などのトピックに関して日本がいかに遅れているかということに関しての問題点をさらに強く感じるようになりました。「TVタックル」に出演していて、法律を変える必要性を感じるようになりました。ちょうど当時参議院選がありまして、出馬することになりました。実際に政治家になってからは、悔しい思いもたくさんしました。決断をしてなったのですが、国会に来るのが早すぎたと思うこともありました。

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続き(今後の目標)

今後の目標
死ぬまでに立派な歌手になることです。歌を通して、平和を訴えたり、人とのコミュニケーションを築いたりしていきたいと思っています。女性の人権が実現したら、日本はもっと豊かになります。そのための地盤は作ってきたつもりですので、これからの若い人に期待したいですね。

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HARAC 安全ハサミ・カスタ

一般に売られているハサミではなく、取っ手を開閉するとカスタネットのように音が鳴る手に優しいハサミです。
取っ手の間には絶妙な弾力のバネが仕込まれているので、本当に手に優しく使いやすく、簡単に切れます。

スワロフスキーのアクセサリー

宝石ではなく、スワロフスキーを愛用しています。昔は、石などの宝石を買っていたのですが、使用する場があまりないので、普段使いも出来るスワロフスキーを自分オリジナルにオーダーして身に着けています。特に、Korino.I(泉川典子さん)がデザインするアクセサリーがお気に入りです。