木場克己 (こばかつみ)
1965年12月26日 鹿児島県生まれ
スポーツトレーナー
有限会社コバメディカル・ジャパン代表取締役
株式会社アスリートウェーブ代表取締役
早稲田医療学園、東京医療専門学校卒業後、鍼灸院、整骨院、整形外科、スポーツクラブインストラクターなどを経て株式会社ピープル・現株式会社コナミの商品企画課の中のエグザス治療院チーフトレーナー、FC東京ヘッドトレーナーを歴任し1998年に独立。地域密着型の治療院、こば鍼灸接骨院を立ち上げて現在6店舗経営。スポーツ選手とトレーナーとの関係を融合し、日本のスポーツを強くさせようを合言葉に育成年代から、トップアスリートまでの健康管理や正しいトレーニングの進め方などを指導者向けに配信し将来的に選手とのコラボでビジネス展開を考えている。

http://www.kakugo.tv/index.php?c=search&m=detail&kid=147

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幼少~学生時代
小学2年生から柔道を始めました。中学生に交じり1人だけ小学生という状態でしたが、少しずつ柔道仲間が増え、小学6年生時に県大会で優勝し、中学生の時には団体で九州大会にて優勝しました。でも実は柔道は好きでなく、野球の方が好きでした。小さい体でしたので、体重別のレスリングに転向をしました。56キロ級で九州大会3位、インターハイで団体3位・国体3位という成績を収めました。でも、やはり格闘技は好きではありませんでした。基本的には妹などと一緒に遊ぶ事が大好きでどちらかというと控えめで、おとなしいタイプだったと思います。

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社会人時代
専門学生時代に遊びすぎたため、社会人として(病院や治療院)就職したものの、患者さまに質問をされても答えられず、また、院長に症状などを聞かれても何を答えればいいか分からず、勉強が足りない事を自覚しました。そして再度、独学で勉強を始めました。

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続き(起業のきっかけ)

起業のきっかけ
FC東京に専属トレーナーとして入団してから、ある程度スポーツ障害の治療に自信がついてきました。その時に練習場の近くにたまたま空いている物件があったので、柔道整復師の免許を持っていた妹に声をかけ、整骨院を始めることにしました。

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続き(覚悟の瞬間)

覚悟の瞬間
私が覚悟を決めた瞬間はどちらもトレーナー時代にあると思います。かつてブラジル人フィジカルコーチとのやり取りの中で、トレーナーという身分や地位が低いことを思い知る出来事がありました。その地位を上げるために、ただ治療だけではなくフィジカルコーチができる位の勉強をして、同じ立場で仕事をしたいと考えて今の地位を目指しました。また、トレーナーをやっている中でプロ選手と言われる人たちを何千人と見てきましたが、ほとんどの選手が何かしらの持病をもっているという状況がありました。その持病は育成年代の時に起こった持病で、その育成期に指導者がしっかりケアをし、無理をさせなければ、防げるケースが多いものでした。育成年代に指導者に対してケガなどの知識や体の成長などをしっかり理解させケガのない体を作ってもらえれば、日本のスポーツはもっと強くなると思い、育成年代における指導者へのケガなどに対する教育を行っていこうと決意しました。

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今後の目標
現在、私は医療系専門学校の講師や、中体連やクラブなどのメディカルアドバイザーとして活動しています。トレーナーの卵たちに自分の体験談を伝えることで、ただスポーツ選手だけではなくお年寄りや社会人の方も健康にさせてあげられる治療家やトレーナーを育成したいと思っています。また、日本のスポーツを強くさせる事も目指しています!会社での目標は、いい人材を育成することですね。そのスタッフには独立した際に自分のやっていた事を少しでも地域の方々に還元して健康にさせてあげられる事を意識した治療家、トレーナーになってもらいたいです。自分と同じ考えでやってもらえるのならば、FC展開で会社を盛り上げていってほしいと考えています。

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システム手帳

私の秘書的存在。大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいいサイズです。

自ら選んで決めました。常に腕につけている、パワーストーンです。