蒲田和芳 (がまだかずよし)
1968年4月5日 富山県生まれ
GLAB 代表
常翔学園広島国際大学理学療法学科 准教授
東京大学から東京大学院に進学し、同時に専門学校に通いながら理学療法士の免許を取得。広島国際大学へ入職後は、インソール等の特許出願を進め、技術移転を促進するために起業。開発したインソールは発売前にも関わらず話題沸騰。「からだのゆがみを科学する」を追求し続ける。

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幼少~学生時代
富山県高岡市で生まれ、高校卒業まで過ごしました。小学生までは冬でも半ズボンで、田畑や河川敷で日が暮れるまで遊び、泥だらけになって帰宅する毎日を過ごした記憶があります。中学生は野球部に在籍し、同級生にはプロ野球でも活躍した田畑一也選手がいました。高校ではラグビー部に入部しましたが、進学校で練習時間も短く、弱小チームでした。ラグビー部の同級生の槻橋氏(建築家・神戸大学准教授)は、京都大学に進学してフットボ-ル大学日本一になりました。私は京都大学は不合格となり、東京大学に進学してフットボ-ル部に入部することになりました。京大との定期戦では直接対決しました。

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社会人時代
大学時代、フットボール部の同級生が、試合中に頭部を強打したのをきっかけに他界しました。これを契機にスポーツ医学に関心を持ち、東京大学教育学部体育学科に進学しました。その後、東京大学大学院に進学し、同時に専門学校(夜間部)にて理学療法士の免許取得しました。大学院在籍中に横浜市スポーツ医科学センター設立準備室に入職し、同センター設立後は、理学療法室長として勤務しました。オリンピック選手・プロスポーツ選手・大相撲力士から高齢者までさまざまな方々を治療する機会がありました。2003年、疾病のメカニズム解明・予防策を確立するため離職し、渡米しました。コロラド大学では死体のひざを使った実験を中心に、その後フロリダ大学では人の関節の動きをレントゲンで分析する手法を勉強しました。

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続き(起業のきっかけ)

起業のきっかけ
広島国際大学に入職後、インソール等の特許出願を進め、技術移転を促進するために起業しました。商品化案件としては、スニーカー用インソール、けが予防のトレーニングのための「バランスシューズ」、ひざのゆがみを直す「レッグプレス」、腰痛を予防する「ボディスーツ」、ハイヒール用インソールなどがあります。特にインソールについては、1000名2000足以上の手作りインソールの製作経験、アスリートの治療経験に基づき、簡便で違和感の生じない構造に進化させました。ハイヒール用はテレビ東京での紹介もあり、発売前から話題沸騰しつつあります。

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続き(覚悟の瞬間)

覚悟の瞬間
覚悟の瞬間は3つあります。まず、大学3年の時に早々に進学を決意した時です。バブル最盛期で、段ボール5箱の企業からのリクルート資料には目もくれず進学を目指して勉強しました。次に、安定した横浜市スポーツ医科学センターの職場を辞めて、渡米した時です。無給でコロラド大学の研究室に飛び込み、研究に専念する生活を送りました。最後に起業をした時です。父が起業家で、その苦労もよく知っていたため起業はしないつもりでした。しかし、腰痛やひざの変形で苦しむ多数の患者に少しでも光を届けるために一念発起して、ついに起業することになりました。

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続き(今後の目標)

今後の目標
「からだのゆがみを科学する」を追求し、膝の変形、骨盤の歪み、外反母趾などを撲滅・一掃したいと考えています。

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ハイヒール用インソール

10年前、ハイヒールは体に有害なもの、できれば世の中から消えた方がよいと思っていました。しかし、けがをしたスポーツ選手が安心してスポーツに復帰したいのと同様に、ハイヒールを快適に履きたいという希望をかなえることが、腰痛やひざのO脚変形などさまざまな疾病の予防に役立つことに気付き、方針転換をしました。ハイヒール用のインソールを普及させて、快適で健康的なおしゃれを実現したいですね。

父の形見の腕時計

父が愛用していたロレックスの腕時計を愛用しています。