森下賢樹 (もりしたさかき)
1962年11月27日 愛知県生まれ
フォーカルワークス 代表
早稲田大学政経学部を中退後、京都大学物理学科卒業。松下電器産業株式会社入社。コンピュータのハードウエア・アーキテクチャ設計と商品化開発に携わる。その後、国内大手特許事務所に入所。3年後にシンクタンク企業に入社。情報科学の国際産官学研究開発を企画、推進に携わる。多数の国家支援プロジェクトを遂行。JETRO主催国際協力調査団に技術責任者として参加する。2000年、プライムワークス国際特許事務所(旧森下国際特許事務所)を開設。2009年、株式会社フォーカルワークスを設立し現在に至る。

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幼少~学生時代
子どものころは人とあまり話せませんでした。小学1年の時に学校を訪れた母が先生から「そんな生徒いたかなぁ」といわれ絶句しました。中学時代は深夜ラジオにはまりました。3時か5時まで聞いていました。以来夜型生活を送るようになりました。中学、高校時代はアコースティックギターにどっぷり浸かっていました。高校1年で親の転勤により奈良から横浜へ転校。転入試験の際、奈良の学校をバカにされて怒り、反抗心から転入試験では数学は満点、国語は白紙。落ちたかったが、通されてしまい、未練のあった奈良を去りました。大学時代はバイト代がすべてガソリン代になる生活を送っていました。1年で4万キロ(1日100キロ)も走りました。意味なく海ばかり見に行っていたことを覚えています。

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社会人時代
京大理学部は大学院にいく人が多くいました。対して私は早く社会に出て自分で稼ぎたいという気持ちがありました。松下の入社面接時、技術系役員に「電子回路の勉強もせずにくるなら営業へ行け」といわれ発奮しました。翌々年、回路設計者として松下全社の若手代表で『ダ・カーポ』に載りました。松下ではかなり通好みの設計と言われていました。

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続き(起業のきっかけ)

起業のきっかけ
当時は終身雇用が崩れる時代で、大企業にいても閉塞感を感じるようになっていました。エンジニアは給料もいまいちで、金融の友だちと比べて落胆していました。「この会社で社長になってもおもしろくない」と思った瞬間に、会社を辞めることだけを決めました。当時は資格ブームでした。「独学では無理」と言われていた弁理士を、独学で合格を目指しました。1994年、それが実現しました。その後は特許事務所で修業をしていました。映像制作のシンクタンクに声をかけられ転職するも、その会社の経営が傾き、「外で食え」といわれて離職。特許事務所に就職活動をしましたが、夜型がたたりどこにも入れません。というわけで、しかたなく独立しました。むしろ「孤立」でした。

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続き(覚悟の瞬間)

覚悟の瞬間
1回目の瞬間は大学受験の時です。早稲田で勉強をがんばっていたのに、超常現象否定派で有名な大槻教授に「大学は自然科学を勉強するところ」といわれ、京大を受験。受験日は早稲田の後期試験と重なっていたので、落ちれば留年覚悟でした。2回目は職場に内緒で弁理士の受験をしたときです。試験は1週間と長期ですから、辞める覚悟でした。3回目は映像の会社から外へ出る時です。どこにも行きたい特許事務所がなく、独立を決心しました。

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続き(今後の目標)

今後の目標
プライムワークス国際特許事務所を設立して10年がたち、一区切りと考えました。新会社フォーカルワークスは「知的財産の評価」という難問に挑戦します。知的財産とは特許、商標、デザイン、ノウハウなど、人の知恵が産み出す財産です。どんな商品にも価格があり、だから流通しています。しかし知的財産にはそういう手段がなく、簡単に価値が決められません。そのため、マーケットができず、流通しないわけです。日本にある特許の半数以上は使われていません。これは国家規模の不良債権なので、ぜひ流通させて必要な人に使ってもらい、日本経済を元気にしたいと思います。仕事をする以上、まずは自分、つぎに縁のあった人たちが幸せになり、最後は日本の役に立つことだろうと考えます。

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ベネチアのペーパーウエイト

ガラスが好きで、この街はすでに4回訪問しています。プラハのボヘミアングラスも好きで、甲乙つけがたいです。ボヘミアンは青、直線のイメージ。ベネチアンは赤、曲線のイメージ。両方あるから互いがひき立ちます。ベネチアは海に没しつつある街で、 ガラスのはかなさはその象徴でしょう。

『後鳥羽院』

わが敬愛の平安歌人の歌と人を、これまた私の尊敬する小説家丸谷才一さんが評論した本です。後鳥羽院はやぶれかぶれの超暴れん坊でありながら、ハイセンスかつ繊細な歌を詠み、ある種、男の理想を生きました。何度も読む大事な本です。