田中渉 (たなかわたる)
1942年12月10日 鹿児島県生まれ
東京IT経営センター 代表
1965年鹿児島大学工学部電気工学科卒業、日本ユニシス株式会社に勤務、企業情報システム構築、運用支援およびコンピュータ機器開発に携わる。1999年、株式会社東京IT経営センター代表取締役に就任。ITコーディネータとして、経営戦略からIT化推進までのコンサルタントに数多くの実績あり。

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幼少~学生時代
3歳で朝鮮からの引き上げ船で鹿児島に帰ってきました。その時に船上で大病となり、小学校低学年時代は虚弱児で、遠足も満足に行けませんでした。少しずつ元気になりましたが、中学も運動クラブに入れず、放送部に所属していました。運動会はテントの中で、アナウンスやレコードかけの役割が多かったことを覚えています。それでもだんだん元気になり、高校ではどうしても運動部に入りたかったのですが、人がすでに経験しているスポーツでは、これから始めても負けてしまうので、誰も経験していないボート部に入りました。進学校では珍しく3年までボートを漕いでいました。これで体に自信がつき、それからは大変元気です。虚弱児で苦労した母には感謝しています。大学では一変して、音楽が好きになり、管弦楽団へ入団しました。はじめての楽器を手に勉強はせず、練習に明け暮れていました。

続き(社会人時代)

社会人時代
大学で勉強をしなかったつけが社会人のスタートでまわってきて、就職に苦労しました。一度就職はしたものの、もう一度勉強をしたくて大学に戻り研究室で先生の手伝いをしていました。でも、やっぱり研究者の器ではないと感じ、外資系コンピューター・メーカーへ就職し直しました。メカコンピュターから真空管、トランジスタ、IC、LSI、ASICと目覚ましいコンピューターの歴史を実際に見ることができました。

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続き(起業のきっかけ)

起業のきっかけ
40代後半くらいから独立したいとの思いはありましたが、食べていける自信もなく家族のことを考えると決心がつかないまま55歳を迎えました。55歳で部長定年と言うものがあり、それなら辞めるしかないと決心をし、会社員最後の1年間の頻繁な米国出張を機会に、米国のコンピューター・コンサルタントについて調査し、日本でそれを目指すこととなりました。

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続き(覚悟の瞬間)

覚悟の瞬間
55歳で先輩コンサルに「一歩踏み出してご覧なさい。景色が変わりますよ。」と言われ足を踏み出した時が、まずは大きな「覚悟の瞬間」でした。コンピューターのハードウェアの開発部隊にいた人間には、独立の道が見えていませんでした。中小企業がパソコンを使い始めた時期でもあり、経営者向けのパソコン教室・パソコン導入支援・LAN構築に取り組んだが、正直3年間は食えず、ある企業のお手伝いもしながら生計を補ってきました。企業のお手伝いをしていても将来がないと思っていたとき、経済産業省が推進したITコーディネーター資格が生まれました。ITコーディネーターになるには、試験と50万円の費用がかかる研修を受けなくてはならず、清水の舞台から飛び降りる気持ちで50万円を振り込みました。この時が2回目の「覚悟の瞬間」かと思います。おかげさまで、多くのITコーディネーター・パートナーとともに、株式会社東京IT経営センターは、企業の「IT経営による業務革新」をお手伝いする集団となりました。

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続き(今後の目標)

今後の目標
株式会社東京IT経営センターに登録してもらっている約30名のITコーディネーター・パートナーおよび約30社のITベンダーパートナーの皆様とともに、日本の企業の皆様にITを有効に活用し、ビジネス競争力をさらに高めて欲しいと考えています。今や日本のGDPは中国のそれを下まわろうとしています。また、労働生産性は世界で21位、先進国では最下位となっています。パートナーの皆様とともに日本を何とかしたいとの想いです。多くの優秀な人材がITコーディネーターになりたいと思う魅力的なITコーディネーターの世界を作ることを目指し、ビジネスとしては売上10倍増を目標とします。まだ、67歳。田中渉は後ろを振り向かず走り続けます。

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ノートパソコン

2009年の年末に購入した超薄型ノートパソコン。一番軽いものを選び、わずか800グラムです。初期の頃からコンピュータに携わってきた私としては、ここまで軽いパソコンが出てくるとは本当に驚きです。

オーボエ(イタリア製)

大学時代オーケストラに入りましたが、楽器は買えずに大学の楽器オーボエを借りて演奏活動をしていました。卒業しても買えず、10年後に妻の許可を得て購入しました。